おめでとうございます。本年もどうぞよろしく願います。

京都北山雪のない愛宕山’16.1.1  晴

 清滝-空也の滝-大杉谷左岸-スカイライン-大杉地-愛宕山-月輪寺-清滝

 元旦というのに登れど登れど雪は出てきません。でも大杉谷左岸コースの二又あたりまで歩くと、倒木の上がようやく白くなっていました。そして大杉谷右岸コースを少し上がって愛宕スカイラインに進むとようやく白くなってくれました。というよりこのあたりが植林帯の中で日があたらずに融けないための白粉のような雪でしたが・・。

 表参道も徐々にわずかに白くなったり融けたりで、社務所あたりまで上がればようやく白さが目立つようになって、石段は滑り易くなっており、慣れないみなさんは下りるのも怖そうにそろりそろりと下りている方が多く見えました。こちらは軽アイゼンは最後までザックの底に眠ったままでした。
 それにしても、神社の温度計も0℃を指し、寒さはほとんど感じない山頂到着でしたが、このような状態ではこれからの地球はどうなるのでしょうかね~~?、なんて考えてしまいますが・・・

 さて、本日は空也の滝に立ち寄りましょう。空也といえば平安中期に阿弥陀聖あるいは市聖(いちのひじり)といわれた念仏僧です。諸国を回って念仏を広め、この滝にうたれて修業も熱心だったことでしょう。滝の名の由来は、今から千年ほど前、空也上人の修行場であったことにちなむようです。
 そして六波羅蜜寺の建立も知られており、同寺の空也上人立像は重要文化財の指定として名が通っています。今日もこの行場で3名の男性が順番に滝にうたれながら、元気な大声で拝んでおられました。この寒いのに、見るだけでこちらは震えあがりそうでした。その間の写真は断りもしてないので遠慮しました。ブルブル~

 さぁ、いよいよ大杉谷左岸コースを登りましょう。でも、このルートは結構な登りが続きますから体はすぐに暖まります。そしてまた滝の音が聞こえて落ちる白い流れも見えてきました。空也の滝より小ぶりですが、その上流にあるひぐらしの滝です。

     
 空也の滝12mくらいらしい    ひぐらしの滝7~8mでしょうか

 二つの滝を見れば、後は細い道の急登の左岸ルートを登るばかりで、この時期は特に見どころはなさそうです。空也の滝から1時間少しで一般ルートの大杉谷コーズ第4ベンチ上に出ました。12月頃では、本来ならばこの左岸ルートの雪道を登るのを楽しみに待っていたのですが、さっぱりでした。
 そして10分もしないでスカイラインに入りましょう。二ヶ所がやや足元注意ですが、他はいたって穏やかな水平道となって20分ほどで古木の大杉の立つ表参道に出ました。とたんに、相変わらず人だらけの道です。これがイヤなんですが仕方ありません。やがて黒門でした。門は黒っぽいですがあたりは雪化粧しています。でも道はぬかるんで、雪の白さはほとんどありません。

 この黒門ですが、駒札によれば、「この門はもと愛宕山にあった白雲寺の京都側の惣門で、ここからが白雲寺の境内だった。境内には、福寿院、威徳院、長床坊、教学院、宝蔵院といった宿坊があった。愛宕山は、江戸期は神宮寺の白雲寺が実権を握る神仏習合の山であったが、慶応四年(1868)の神仏分離令によって白雲寺は破却。黒門は白雲寺の唯一の遺構となった。」とのことです。そして15分ほどで社務所前の石灯篭並ぶ平坦な庭に上がってきました。もっと雪ののった光景を早く見たいものです。

     
黒門のだいぶ手前から撮ってしまった・・    石灯篭の笠上は少し白いが・・ 

 愛宕さんの不思議な話

 すぐに愛宕神社前門すぐ下にあります青銅鳥居の猪の浮き彫りがある所で足を止めましょう。さらにそのそばには小さな岩を囲った注連縄がありますがこれは上の亀石を祀っているようです。・・

     
青銅鳥居の猪の浮き彫り     礼拝石である上の亀石

 この二つも愛宕さんの不思議な話の中にあります。前述の黒門と同じ「京都歩く不思議辞典」によりますと、それはまず、「ここの左右の柱には神使の猪の浮き彫りが施されている。この猪を舐めると、たちどころに足の疲れが癒されるという。猪が神使の理由については「和気清麻呂が桓武天皇の命により都を定めるときに、まず愛宕に登ってここを軍事上の要地とした。和気清麻呂は山を開いた恩人であるため、今でも社内に護国神として祀っている。これにちなみ同社の神使も猪とした」とか、「愛宕は火の神。猪は火を好むので神使とした。亥の日に炉開するのも猪と火の縁による」という。他に、愛宕は萩の名所でもあり、萩には猪はつき物なので神使にしたともいう。」とのことであります。

 さらに「青銅鳥居の傍らに上の亀石がある。石柵で囲って注連縄が張られている。本社前の礼拝石が上の亀石、鳥居本にあるのを下の亀石という。役行者が置いたと伝えられる名石。下の亀石と同様、何のために置かれたのかは分からない。社では、「神石」であることは間違いないが、名は特にないという。下の亀石と地中で繋がっているともいう。」と不思議辞典にあります。

 そして愛宕神社でした。温度はちょうど0℃でしたがやっぱり満員のストーブ小屋へ入ってしまいました。ザックを置いてお詣りです。そして古い愛宕切符をお返しさせてもらい、新しい「火廼要慎」のお札も頂きました。用事が片付くと後はストーブ小屋でお昼としましょう。

 今年の元旦のお昼はこの小屋でお正月料理とします。京のお正月料理は朝一番にすませましたが、白みその雑煮で、丸小餅にかしらいも、雑煮大根や小芋と毎年同じものです。もちろん、にらみ鯛は姿を見ただけでした。
 ここへ担いできたのは、ごまめにたたきごぼうやカズノコの三種のお節料理はもちろん、カシワ、ニンジン、コンニャク、ヤキトウフなどの煮しめやみかんにリンゴなどもしっかりとお腹へ収めました。今回は愛宕三山はやりませんので、ゆったりとこちらでお昼とさせていただけました。

 さぁ、下山は月輪寺コースとしましょう。のんびり40分ほどもかかって下ってお寺です。見るからに本堂などの建物は相当古く傷んでいるように見えました。本尊は阿弥陀如来様です。駒札によれば、このお寺は天台宗の寺で、天応元年(781年)慶俊僧都の開基との古刹で、本尊は阿弥陀如来です。その後空也上人もここで篭もったといわれ、境内の清泉龍女水は上人と清滝龍神の話を今に伝えるとあります。


本堂内

 平安時代末期に九条兼実が当地に閑居し、兼実を訪ねた法然上人、親鸞上人とあり、本堂前にある時雨桜は親鸞聖人流罪の時に別れを惜しんでお手植えされた桜だといわれて今も元気に花を咲かせるといわれます。法然上人の手植えの桜と一対で「相植えの桜」(あいうえのさくら)と称されていたといわれます。

     
 親鸞お手植えの時雨桜   像人聖親鸞
 

 また、本シャクナゲの大きな木がありますが、これは天然記念物に指定されています。それは「天正十年(1582)織田信長のいた本能寺を攻める前夜、明智光秀は愛宕山白雲寺の勝軍地蔵に勝利を祈願したが、殺生を悔やんで当寺に本石楠花を手植えしたという。」この本石楠花は立派に成長し、四百数十年後の現在、毎年のように白い花を多数咲かせています。


光秀が植えたホンシャクナゲの木は天然記念物

 こちらには宝物は本尊の阿弥陀如来像はじめ多くあります。そして、寺に掲示してある新聞の切り抜きで知りましたが、随筆家として名高い白洲正子もこの寺の観音様に会いに65歳の時に訪れ、のちに「十一面観音巡礼」を出版されています。
 ただ、月輪寺も昨今の台風や大雨等で方々が損傷して維持に大変なご苦労が絶えないようです。皆さまもこのような貴重な遺構類が長く後世に引き継がれるよう願って、愛宕山への途中に寄られ、お気持ちだけでも協力させていただきたいものであります。

 本日は山登りに際し、神社とお寺へお詣りして、ただ、そんなに思うことなく頭を下げて詣でるだけではなく、神仏に対し心から礼拝させていただき、また、この数少ない遺構を見物させていただくことへの感謝を忘れず、今自らにできることは何であろうかとの思いも必要ではないだろうかとの思いも新たな元旦からの登山となりました。。

 清滝へ下山、バスで、思い新たにされているだろう観光客でごった返す嵐山へ戻って、いつもの中之島公園で小倉山をしたがえた愛宕山を眺めながら、今年も一年を通して元気に山歩きをしたいものだと、もの思いにふけるのでした。


嵐山中之島公園からの愛宕山

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