京都北山朝日峯から峰山’16.4.16

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 早春のフクジュソウ、カタクリなどのスプリングエフェメラルは終えて、そろそろ春の第二弾花には少し間がありそうな日となってきた。そんな時には花歩きではなく、山歩きであろう。そういえば、今年は山歩きは遠ざかっている。まずは低山歩きとしよう。

 山城高雄でバスを降り、最初に向かいの斜面にコバノミツバツツジの満開を見てこの景色がうれしい。そして神護寺への坂道を下ってから、西明寺手前の清滝川にかかる灌頂橋から谷山林道を詰めて1時間足らずで6号橋が登山口であった。 

 
山城高雄バス停向かいのコバノミツバツツジ 

 これより登りにかかろう。山道も時期は別にして取り立てて見るものはないので、松尾地蔵さんまでは40分だが、それなりに汗を流した。林道へ上がればすぐで左に朝日峯はこちらだよと目につく標識が飛び込んでくる。
 10分もしないで朝日峯の山頂(688.3m)であった。昔はまったくの無展望だったのだが、近年東から南へ空が開いてきた。了解取ったかいきさつは知らないが大胆に伐採されたようで、経緯は別にして初めてやってくれば感動ものの山頂となってくれている。何度も足を運んでいる者にとっては複雑な心境でもある山がここにもあるのだ。

 朝日峯からの東の大展望、この後に向かう峰山も右に見え

 もちろん、この山頂で出会った登山者は誰一人知らない。いつものことながら、都富士を眺めつつのんびり昼飯としよう。これからは歩く距離を短くすることにして、この山頂で好きな文庫本でも追うようにすればいいのにと今頃思うほど静かな時が過ごせる。そんなあらぬことで時間をつぶせばもう小一時間も経っていたのだ。

 当方にとってこの山には過去のほとんどが、愛宕六山縦走の五山目のピークであったので、疲れが感じるころの場所であった。いろいろ思料する余裕は持ち合わせていなかったことを思い出していた。だが、今日のコース取りは異なるのだ。
 この後は林道へ戻ってからは長い長い林道歩きを知っている。この林道の区間がこれまた酔生夢死の馬鹿げた我が人生だったことの反すうとなる時間帯となるのが辛かった。足ではなくて頭が痛いばかりなのだ。漱石ではないが、山道を歩けばこう考える。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。 」この件をどう捉えるのか、いつまでたっても漫然とせずにやっぱり片づけてしまう頭が痛い。今夜こそ枕を高くして朝を迎えよう。とこんな馬鹿げたことを口に出すでもなく足を前に出していた。

 どうにか林道が終了して山道に戻ってきたようだ。ちょっと頭を切り替えようと右の方に目を向ければ、疎林の間より右から竜ヶ岳の尖った頭、それにすぐ左の奥には、けだるい様なお椀型の、あれは地蔵山だろう。とすればさらに左には本家の愛宕さんが座っていることだろうとす~と左に振るとやっぱり愛宕さんがいた。
 あの面々にもしばらく無沙汰だなと思っていると、そこへいきなり前方より賑やかな声が入ってきた。やゃ、珍しい、こんなところで他のハイカーに出会うのは、ひょっとして初めてかな、いや、ず~っと前に一度誰かと会ったことあるかな・・・と考えるのだった。

 するとやっぱり元気よい女性から「後どのくらいですか・・・?」、と前触れもなく質問だ。「え~と、どのくらいってどこまで行くんですか、愛宕・・・?」と戸惑っているこちらがいた。当方の耳にするであろう言葉はまぁ、珍しいこんな所で人に出会うなんて・・くらいのフレイズを心待ちにしていたのだが、「朝日峯まで・・」と矢継ぎ早の声であった。
 どうやら、松の潜りようが足らぬ人物らしい。「初めてですか、僕もこのコースで人に出会ったのは覚えがないようですが・・・」といえば「初めてヨ・・。」とのこと。よくみれば男女3人ずつの同年くらいのパーティーだ。あっ今日は月曜日だもんね・・。と口には出さずに笑いながら「ゆっくりでも1時間もかからないでしょうから、すぐに林道に出ますヨ、それから林道の石ころに滑らないように歩いて行ってくださいね。」とやんわり適当に答えると、後ろにいる男性から「早く行こう!」と急かしの声で潮時となって「お気を付けて・・」と別れたのであった。。

 こちらはほんとうにこのあたりでハイカーと出会ったことに対してどう考えればいいのだろうかと、またまた山道を歩きながらどのように洞察すればよいのだろう・・?、と楽しみながらただほとんど高低差のない山道を峰山へ向かうのであった。
 それにしても鹿の食害がひどく、山肌は丸坊主となっており、いつ来ても花などないな・・と思っているとコバノミツバツツジにカスミザクラのコラボ地だ。ようやく一息入れようじゃないか。この樹木花を眺めてまたまた、杯中の蛇影という言葉を思うのであった。ツツジがミツバツツジかコバノミツバツツジか、それにカスミザクラはたまたエドヒガンかなどと、何でもないことでも、疑えば神経を悩ます元になるということとなるのであった。

 それは、先だってNHKで京都の早春の景色の中において、「ミツバツツジが彩り鮮やかとなってきました。」と報じていたが、世の中やっぱりコバノミツバツツジでも、それともミツバツツジでも、そんなの関係ねぇ~どっちでもいいのだナ~と思い出しているのであったのだ。アァ~、杯中の蛇影(ハイチュウノダエイ)・・?。 何でもないことでも、疑えば神経を悩ますたねになることのたとえと先人はのたまっているのだ・・。

 林道終点から20分ほどで、本日二つ目の頂だった。もちろん眺望はないが、西側にどうにか愛宕、地蔵に竜ケ岳のそれぞれの頭を探せた。これで愛宕六山で残るは三頭山(ミツヅコヤマ)が見えないだけだと確認できたことを、今日の山であればこれくらいが我が身に歯が立つことだろうかと満足して峰山を後にし、北側の雑木地の道なき道をショートカットして半時間強ほどで、あの世界遺産である高山寺へ下山した。

 
 峰山537.6m

 この寺から、後工程は人の多い観光ルート取りであるので、我が楽しみは蚊帳の外となろう。神護寺下から朝の出発点の山城高雄バス停よりR162をひとバス停歩き、子安観音地からの菖蒲谷池、そして京見峠へ上がり、それより直指庵へ下って、観光客ごった返す中を阪急嵐山へと着いたのだ。いつもの中島公園で一休みで周りの観光を楽しむ顔の並ぶのを見て、やれやれ、この後は家徒四壁(かとしえき)「家、ただ四壁のみ」へ帰るのかとの心象を、本日の歩きがかき消してくれるのであった。

 

 
 ニッコウネコノメソウがまだ咲く
         
 
サクラソウは全国に分布するが自然種は少ない。以前に大分県の由布岳山麓登山口で見たのを、こちらの花の前で記憶を手繰り寄せていた。 

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