台高、大峰関西の百名山二座を歩く’16.5.21~22

 今回は遠路はるばる九州福岡からのお客様の案内でした。聞けばこの度の地震の被害はなかったとのことで安堵しました。さて、このツアーの集客には大台ケ原と大峰山を登るとのことのようだったのですが、関西人にはそのような大層なことを考えて登るのではなく、軽い気持ちの山というのが山歩きの人たちの考えのようですが、それはやっぱり百名山を意識していない者の考え方でしょうかね。

 さて、初日はそれでも、台高山脈(南の大台ケ原~高見山の山脈をいう)の雄である大台ケ原です。でも、やっぱり大台ケ原と聞けば遠足気分の山並みに思えてきてしまいます。それは登山口と最高点の差が115mしかないのがその原因でしょう。
 実際には大蛇嵓からシオカラ谷へ下って、最後の登山口のある駐車場へ戻るのが、結構下り登りと苦しまれる方がないことはないのです。しかしながら、今回は足もなんとか揃って、アクシデントもなく無事に全員が完歩していただけ、案内人としても感謝の気持ちで一杯でした。

 最初のピークである1等三角点埋まる日出ケ岳1694.9mへは、皆さま、へっちゃらで登って三角点の小話もお聞きいただけました。そして展望台に上がれど、真夏のような暑さでやっぱりこんな日は眺望はいただけません。富士はどっちに・・、との声も出ますが、何度もきている者にも富士山など見たことはありません、とまでは言いませんでしたが、やっぱりそう簡単に顔見世はなりません。


大台ケ原、日出ケ岳の1等三角点

 引き返して、木製階段をずっと歩きながら、両サイドに続く「シロヤシオ」を、この木なんですが、咲けば皆さん大感動間違いなしの「愛子様の御印」のツツジの木なんですよなどと話しながら進みます。蕾すらまだまだのような感じですから、皆さんには関心度はそうなさそうです。
 そこで、皆さんに関心を持っていただくために、私が花もないのにどうしてこの木がシロヤシオだと分かるのか・・その訳を話しましょう。と聞いていただきます。それはこの木の木肌です。シロヤシオは別名「マツハダ」ともいわれています。それは木肌が松の木の肌に似ることからの別名なのです。真っ白い清楚な花が咲けば誰でもアっ、シロヤシオだ!・・よっと、声が出るのですが、蕾も膨らまないこの時期のこの木はシロヤシオだといえるようになれば山歩きが数倍楽しくなりますヨと話すのでした。


シロヤシオの別名「マツハダ」

 山歩きの目的は、何も日本百名山のピークを踏むことだけではないでしょう。と、ちょっとキツイせりふが出てしまいます。頂上までの途中をいかに多く楽しむかにかかっているのではないでしょうか。そして知らぬ間に頂上について、そこに埋まる三角点に「やさしくタッチしてご挨拶」とし、このように元気な身体に産み育ててくれた「母親に大きな感謝」をしましょう。ついでに自らの父親にも感謝したいものです。笑

 そして、正木ケ原あたりからいよいよトウヒ、シラビソ類の針葉樹の立ち枯れ風景を説明です。一番目立ったのはS34年の伊勢湾台風被害でこちらの樹木が大被害を受けたのですが、長年経つとこの景色は八ケ岳で有名な縞枯現象に似てくるということになります。
 これはなにも八ケ岳だけではなく、日本全国といってもいいくらいに見られる現象ですが、研究者によってでも、まだハッキリとした原因は判明していないといいます。しかし、おおよそではありますが、この現象が生じる地形は概ねではありますが、岩塊斜面といって氷河時代に遡る岩石の塊があるその上方へ針葉樹林帯が続く状態の地形に多く見られるといわれているようです。この大台ケ原の山の斜面にも岩塊斜面があるやもしれませんね。


日出ケ岳を振り返ると縞枯状態も見られ

 そして、東屋を過ぎて神武天皇像の立つ牛石ケ原です。本来は大台ケ原の見どころでもある処なのです。当初はこちらで昼食予定としていましたが、日陰なく暑すぎてやむなく大蛇嵓分岐まで進んで、ようやく木陰を得て大勢が一列に並んでお昼としました。
 食後には神武天皇像にまつわる話もさせてもらいましょう。でも、あまり神武天皇の日本国建国の話などして偏ってしまえば、経験上参加者の方々にもいろいろな思想の方もあったりして苦い経験談もあり、ここでは神武天皇像を建立した大台ケ原の祖ともいわれる岐阜県出身の「古川嵩」についての、大台ケ原における明治時代から大正昭和時代にかけての活躍ぶりを話します。
 今回のお客様には以前とは違い、歴史上に関する大変なご興味ある方もあったりして、本来の神武天皇に関する話をさせていただこうかなとは思いましたが、断念せざるをえませんでした。ご理解のほど悪しからずよろしく願います。

 そして、いよいよ大台ケ原の核心部へ入ります。すると分岐からすぐで、ツクシシャクナゲが咲き、さらにアケボノツツジまでも、まだなんとか残花が待っていました。これらのお花を見たお客様も思わず大歓声となって撮影会となったのでした。
 そして北側のすごい岩の斜面には、二人がクライミングを準備しているのがどなたかが目に留め、それをみんなに見てみて!と大声でした。その姿を写したのですが、豆粒のように遠いことからいかに凄い傾斜の岩場かが思い知れました。

         
ツクシシャクナゲがまだ咲き残って~    こちらはアケボノツツジがきれい 

 さて、我らはそれに比べれば子供の遊びのようなものです。でも、そうはいっても岩頭から谷底への落差は800mともいわれ、恐ろしい谷底となっているのでしょうが、皆さんにある程度まで先端へつき進んで写真を撮るなどスリルを味わっていただきました。


大蛇嵓、中ノ滝が撮れてなかったが・・

 写真を終えると、無事に引き返していただき、戻った分岐からツクシシャクナゲの大群生地の中をシオカラ谷へ向かって下ります。進むと先の方ではヒメシャラ群落もあったりして、この木に抱きつけば冷たく、汗まみれの身体を冷やしてくれるようで気持よいことから、以前から私はこのヒメシャラの木を見つければ抱き着く習性が身についています。
 こんなことから、わたしはこの木を「抱擁の木」と命名していますと言って皆さんにも抱きついてもらいましょう。わぁ、冷た~い、気持いい!と、歓声が沸き、他の皆さんにも大笑いしていただきました。すると、なんと、後日その写真を撮ったヨ、とお客様より送信していただきましたのでご覧ください。Yさんありがとうございました。

 そして相当離れたところにもいっぱいのツツジが咲き、あれはアケボノツツジだろうか・・・?などといいながら沢へ下りましょう。シオカラ谷の結構揺れるネなどといいながら、その沢にかかる吊り橋を渡って、今度は反対に急な登りにかかります。これが疲れた身体に堪えることもあるのですが、なんとか上がれば、またまた離れた下の谷方向にきれいなツツジが咲いています。そしてそばには赤色の濃いヤマツツジも見られました。
 駐車場に戻ってから、今晩の宿である旧大台荘の心・湯治館へ荷を解き、ビジターセンターでシオカラ谷へ咲くツツジはと尋ねると、あれは「コバノミツバツツジかトサノミツバツツジ」でしょうか。現地にはなかなか近づけないことから実査はできていませんとの弁でありました。

 トサノミツバツツジとコバノミツバツツジとの相違点は、前者の特徴は花糸に粒状の突起と子房に腺状の突起があり、花柄には腺点が多い。また、後者は花糸や花柱が無毛で、子房は長毛が密生し、花柄には長い毛が多いのが同定ポイントであるでしょう。今回は近くになくて手に取ってルーペで見ることもできませんでしたが、初めてのトサノミツバツツジを見るチャンスでもあったのに遠くて涙でした。。

 わたしは、夕食まで時間をもて余し気味であったことから、それでは何か他に花は咲いていないでしょうかと尋ね、それらしき所を聞き探してみますと、お客様と歩いていないところにはワチガイソウ、イワセントウソウ、ミヤマカタバミが満開で咲き誇り、そして残花のネコノメソウなども群生しているのが見られました。お客様には申し訳なかったのですが、夕食時間にも影響してはと声もかけずに、ご覧いただけなかったのは残念でした。

       
 イワセントウソウ(セリ科)小さな花を上から イワセントウソウを横から撮る   ワチガイソウ(ナデシコ科)  ワチガイソウの群落

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