比良 八幡谷右岸尾根から釣瓶岳 ’17.2.4 晴

JR堅田=細川-細川城跡-P713-Ca1040-釣瓶岳-ナガオ-広谷-イブルキノコバ-ダケ道-JR比良

 先週の比良の積雪は大変なものであったのだが、今週は気温上昇によってすっかり先週より少なくなってしまっていた。細川バス停では工事人軍団がこちらの姿に面白そうに寄って来て「こんなもので雪のあの上に上がれるのか・・?」とシューを触りながら珍しそうに話しかけてきた。
 「遭難しそうになったら、お~い、助けてくれ!、と叫んでくれヨ、すぐに探しに行ってあげるから・・」と愉快に冗談を言って楽しんでいる。こちらも負けずに「アンタらに遭難救助を頼むほど落ちぶれていないヨ!」と意気盛んに返してやった。そして「でも、気つけて行ってや~」とこの言葉だけは真剣に言ってくれたような気がして思わずその人の顔を振り返ってこちらは頷いた。そんな人たちの見送りを背にこちらは揚々と出発(9:50)であったのだ。

 シューをつけていつもの城跡の石崖下を回り込んで、少し進めば、植林帯の中からシュー跡が・・や、先行者だ。どうやら細川休憩所にマイカーを置いて城跡北側からこの道にエスケイプしてきたらしい。でも、すぐに古道分岐で左にとっている。こちらはこれまでから左道を歩いているため、今回は右の直登道を行くつもりで来ていたのだ。今日の雪質であればノントレーだが、と予定通り右古道で登っていった。でも、これがまさに急登で、350~600mあたりの間が特に苦しめられるのだろう。
 でも、左の道より短いために時間的には大丈夫だろうと頑張って登ることとした。そして一枚岩だろうか、今日初めて白ではなくむき出しの黒っぽい岩が雪の中から顔を出していた。そのそばを進み、炭焼き釜跡は雪に埋まっているようで、気がつかなかったが、登り道は何思うこともなく汗ブルブルであった。

 しかし、500m過ぎたあたりで下で左道を進んだ先行者のトレイスが現われてくれた。これでゆったりのんびり上れると思わずにっこりしている我が顔が目に見えるような気持ちとなってしまった。その後の600mあたりより次第に急登は緩みかけてくれる。そしてP713にようやく到着(11:20~25)であった。右には細川尾根の上に武奈の頭が樹林の中に見え、そして反対側にはツルベの頭も見えだしてきた。

     
 P713地点は比較的なだらかである    細川尾根の左上は武奈が見え

 よし、これからはそんなに急ではなくなるので、ゆったりと進もうとマイペースであった。そして樹林の中に突っ込むようなところまで上がってきて二年前の樹氷の見事なシーンを思い出したのだ。あの日も今日と全く同じ2月4日立春の日であったのだ。

 しかし、今年の立春は暖冬で樹氷などありうべくもないのだった。やっぱり立春は暦だけの春であってほしい。今日みたいに暖かすぎる立春は困りものであろう。そんなことを思いながらどうにか縦走路上のCa1040地点に到着(12.25~13:15)となった。そこには5人の先行者が昼食中であった.。こちらも予定通りこの雪庇東側に座って昼食としよう。

         
これだけ暖かくては樹氷はないワナ~    縦走路上の小ピーク、奥にツルベ     南に武奈ケ岳頂上に人が見える~
 

 「トレース有難うございました。後はどちらへ向かわれますか?」と声をだすと、「あっ、○○さんやないの、久しぶりですな~」と知り合いのガイドの声にびっくり、今回は4人を案内されているようだ。そして、近況状況を交換していたものだから、いつになく小一時間も座っていたのだった。どうやら隣のツルベを踏んで、後の道は相談しながらの駐車地の周回とするそうであった。

 5人のメンバーが去ってからはやっとここで独りぼっちになれたのだ。そして、思い出す好きな句は『かくれなく重なり合うや冬の山』だった。この句どおりの景色ではない目の前の冬の山ではなさそうだが、わたしの心には句どおりに見えるようだった。
 やっぱり静寂の真白ろき雪に座し、冬景色が今年も目の当たりにできたことが幸せ一番であろう。こんな感じになればしみじみと頑強に育んでくれた両親と心で対峙するのが常で感謝である。(なお、この名句の詠み人は蝶夢という京都出身の江戸時代中期の時宗の僧・俳人で芭蕉の信奉者といわれている。)

 
話の合間に釣瓶岳からナガオ尾根を眺めながら、あの稜線をこの後に歩くのだとラーメン昼食も美味かった・・

 さぁ、目の前のナガオの稜線漫歩である。このようすならナガオからはノントレーが楽しめることだろうと、今しがたのメンバーに遅れて腰を上げ、5人の後を追って上って行くこととしよう。目と鼻の先のツルベには15分ほどで雪まみれの釣瓶岳(1098m)に到着であった。

 
釣瓶岳山頂は雪の中

 「北側の白山などは見えない」と、そのガイドがツルベ頂きの直下から叫んで教えてくれ、こちらは上写真の中から北側には下りずに、「では、お互いに気をつけて・・」と交わしてメンバーと離れることとした。我が足は南東のナガオへ向かうとすぐに北側には伊吹山などが白く見えていた。ところが足元にはワカンの一人旅が出てきていた。どうやら、朽木栃生から一人ワカンでツルベへ登りナガオを行くようだった。エ~、またか・・とのことで仕方なく適当に歩くこととしよう。

 でも、そのトレースも二つ目のCa1050手前から南西方向へ消えていった。どうやらスゲハラ方面に行くのだろうか、でもその後はどうするのだろう。いずれにしても一人で相当の健脚者であろう・・。人のことはよそう。こちらは小さな小ピークである二つ目のCa1050から武奈を見上げ、あそこのツルベから降りてきたのだなと振り返って見渡し、進む先にはカラ岳のパラボラや釈迦岳も見えるのだった。

     
武奈ケ岳の雪庇も見え     釣瓶岳と樹林の先の白銀が昼めし場

 そして、鞍部から少し登ってCa990から雪深い広谷へ降りると広谷の丸太橋にもいっぱいの雪を積んでいた。誰も入っていないこの広場も好きな場所である。眺めを楽しんでいれば、突如谷の向こう側へ三人が武奈の東尾根を下ってきたのだろう。向かいの斜面を登ってイブルキノコバへ上がっていくのが目に入ってきた。短い間ではあるのだが、せめてイブルキノコバまではノントレーだとほくそ笑んでいた自らの道?・・がまたしても乗っ取られていた。笑

     
 広谷レスキュ表示地    左画像の右横の丸太橋を渡渉地から

 もちろん広谷広場のこれよりイブルキノコバへ上がってそこからは多くの踏み跡は消すに消されないほどあることは承知の助である。15分で明日は雨予報なのにテントが見える八雲が原であった。比良で顔の知られる方のようだった。人それぞれであろう。
 八雲より北比良峠へ上がるも見慣れた琵琶湖の景色に心は虚ろいばかりのよう。ひと息いれてダケ道へ下って、大山口から降りるとトイレ前で朝の堅田駅でも逢った知り合いの男女お二人にまた出会った。この広い山域の中なのによく出会うものである。坊村からの入山で元気に下山されたようで何よりであり、お先にとJR比良駅(17:20~36)へ帰ってきた。それにしても二年前立春の日と同じで行程の7時間半ほどの歩きであった。フゥ・・

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