山科 醍醐三山を歩く ’17.4.30 曇


 岩間神社-行者ケ森-高塚山-横峯峠-醍醐山-上醍醐-醍醐寺-地下鉄醍醐駅

  歴史ある醍醐の山を小さなコブをつないで歩こうとのことで行ってきました。時期的というのか、余りに低山なために期待していたほど植物たちにも出会うことなく、すんなりハイキングでした。今回は岩屋神社からのスタートでした。この神社は宇多天皇時代(887~897年)の創建とされるために相当古い神社であり、本殿の背後の行者ケ森中腹にある「奥の院」に陰岩・陽岩と称する巨岩が神域で知られます。
 ただし、今回は本殿にお詣りした後は巨岩はパスして歩き始めてすぐに関電の鉄塔地から山科市街を見下ろす展望台でした。その後も大きな音がするなと振り向けば7人のライダーがモトクロスでしょうか。青年たちが元気に走りすぎました。

     
 岩間神社  鉄塔地からの山科の街を見下ろす 7人組が爆音で走り去る 

 スタートして1時間足らずで行者ケ森(Ca440m)到着でした。ここまではやや急な登りが続きましたが、短いですから一汗かけばフラットな台地到着で、ほとんど眺望なしのために、給水が済めばすぐに少しばかり戻って次のピークである高塚山を目指しましょう。
 稜線に乗ったも同然でしたから、この間はのんびりあたりをキョロキョロしながら進みます。嵐山も被害のあった台風と同じ時の被害がここでもあったようで、登山道があちこち崩壊の被害を受けてたようです。でも3~4年ほど経過したでしょうか。踏み跡が固まってほとんど道ができたようです。

 この間も1時間足らずで高塚山(485m3等三角点)でしたでしょうか。今日は三山の唯一の三角点地でした。すぐそばのわずかに展望があるベンチに腰掛けて早めのお昼(11:20~12:00)としましょう。日曜日だというのにどなたも山頂にやってくる姿はないようです。心静かにゆったりのんびりしましょう。

     
 行者ケ森  高塚山  山頂そばで昼食

 さぁ、午後の部としましょう。稜線歩きですが、風もあったりしてそんなに汗もかきません。すぐに昔のゴルフ場への舗装道路に突き当たります。その道をわずかに歩けば横峯峠でした。そこには古びた休憩小屋がありますが、入ってベンチに座るには古くて気がひけます。その前の広場には車を置いた子連れの家族が遊んでいます。クロモジやウリハダカエデが咲き残っています。

 これより少し登り気味に醍醐山へ向かいましょう。ここまでも稜線を飾っていたコバノミツバツツジの紅色の花びらもほとんどが散ってしまっています。色鮮やかだったこのツツジも残り花も消えて、新緑に変わろうとしている山並みでした。
 その峠からすぐで醍醐山(454m)到着でした。その表示は「NTTカミダイゴ14」と電柱に表示がある真下に醍醐山表示があります。この日もハイカーと何人か行き違いがありましたが、このあたりを歩くハイカーの皆さんクラスでは醍醐山表示を意識して歩かれることもないでようです。
 ここで少しばかり立ち止まっていたのですが、交差される方は挨拶されるとすぐにそのまま先へ進まれていました。それもそうでしょう。この表示そのものもほとんど目立たないですし、切り開きもないために眺望もまったくないので、醍醐山の山頂はどこだ・・。と気にしていない限り立ち止まることにはならないでしょうネ・・・。

 さぁ、ここまでくれば上醍醐は目と鼻の先です。まずは五大堂は豊臣秀頼再建のゆかりの寺で、これまでは毎年2月23日の五大力尊人王会大法要がこちらで厳修されていたのですが、近年ではその「五大力さん」は下醍醐の金堂の前に舞台を移されています。
 次には如意輪堂と開山堂へ参ります。こちらはともに重要文化財の指定を受けています。もちろん、創建後は幾たびの焼失後に豊臣秀頼による再建の遺構でもあります。開山堂は言わずと知れた醍醐寺開山の「聖宝理源大師」を堂の内内陣の中央に祀られています。

 開山堂の東側を少し降りれば、上醍醐陵があります。そちらには第72代天皇、白河天皇皇后賢子様の御陵さんです。

     
地味な醍醐山山頂  櫻咲く開山堂  上醍醐陵 

 少し戻ってから下りますと、今度は国宝の薬師堂があります。こちらは平安時代の日本三蟇股の一つともいわれ、それは醍醐寺薬師堂・宇治上神社本殿・平泉中尊寺金色堂といいます。それより上醍醐といえば西国三十三所第11番札所がつとに有名でありました。それは西国一険しい札所として知られていることからでもありました。それは開山の聖宝が如意輪堂とともに建立された准胝堂が祀られていたのですが、1968年に再建された堂は2008年8月24日焼失し、現在はその地は空き地となっています。再建までの間は西国札所は下醍醐の観音堂(大講堂)に仮に移されています。そんなことから西国三十三所第11番の札所巡りはすっかり楽な11番となっています。笑
 その下にあるのは醍醐水で知られる聖宝が感得し、醍醐寺の名前の由来となったといわれる霊泉が今も湧き出ているといわれます。そのそばには清瀧宮が祀られ、下には清瀧宮拝殿があり、こちらが国宝指定されています。清滝宮は弘法大師(空海)が唐・長安の青龍寺から勧請した密教の守護神を祀った醍醐寺の鎮守社といわれます。

     
国宝  薬師堂   国宝  清瀧宮拝殿

 上醍醐巡りを終えると、下醍醐まで延々と急な山道を下ることとなります。でも、その道にはいろいろなお花たちが咲いていますので、楽しみながらゆったりのんびりとしたペースで秀吉の醍醐の花見箇所、不動の滝などから女人堂へと下って終了としました。

 最後に歩いた途中で見られたお花たちです。とりわけサワハコベ、ミヤマハコベが多く咲いていました。特に下りの谷筋では他にも数多くの開花が見られました。

        
サワハコベ (茎無毛) ミヤマハコベ(茎2列の毛あり) 

 そのほかにもいろいろ見られましたが主たるものは以下のようなものでした。

       
 フイリニョイスミレ イズセンリョウ   ムロウテンナンショウ(マッチ棒状)  サンショウソウ

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