京都西山 大雪の日のポンポン山 ’17.12.7

 今年の暮れは寒さが厳しい。そんなことから明日は裏山のポンポン山にも雪が降ってくれたらいいのだがと早々と雪山装備を準備して眠ったのだが、朝起きると期待通りとはならなかった。やむを得ない、ならばボッカ訓練としよう、ともう少し水を増やして通常分1Lにさらに5L増やしていざ出発であった。

 歩きだすと、さすがに15K近いザックは久しぶりで登山口近くの西代里山公園あたりまでですっかり汗じみてきた。それでも目の前の西山トンネル上の残り紅葉が目に飛び込んでくれば、「おう、西山の紅葉もなかなかのもんだ。!」と嬉しさは隠せない。

 
 西山トンネル上の残り紅葉

 立石橋から正面谷へととって、久方の立石尾根を歩いてみようと上がった。最初はいやに道が整備され、殊勝な山好き人がここにもいたのかと喜んだ。ところが尾根に乗れば立派な鉄製の金網で鹿除け柵がびっしりと張り巡らされているではないか。
 その中には札の下がる若木が何本も立っていた。どうやら役所や大手企業がらみの西山再生林のようである。ところが先の稜線への古道方向にあった道が柵が張られて入れなくなって入口がなくなっていた。どうやら巻きながら進めるようだからと行けども行けども左尾根への入口らしきものはない。次第に道が細くなって最後は消えてしまった。この後も整備が続き最後までの尾根筋への合流が叶うのであればいいのだが、現状のままでは初めての登山者には辛い状態となろう。

 
正面谷から立石尾根へ上がり 

 当方は終点からまた引き返すのもいまいましく、やむなく藪漕ぎ突入として本来の古道に合したのだが、そこまでにはサルトリイバラやキイチゴなどの棘ある木に邪魔され、ナイロン製の冬用ズボンも破れる被害を受けてしまった。これもボッカ訓練のために、背が重すぎ藪の中を自在な歩きが容易にしずらかったのが原因であろうか。これも引き返さなかった自らの責任とあきらめざるを得なかった。トホホ

 西山キャンプ場への道を交差して、この後は関電道を上がろう。鉄塔から樹林向こうに比叡山を探して進むと、そこでびっくりなんと作業林道が伸びてきているではないか。これまた役所仕事のずさんな使いもできない山の中に林道であった。この市は近年この手の林道造り大ばやりのようだ。よほど地元業者の陳情がきついのだろうか。
 このような林道があちこちに造られ、すぐに土砂崩れでそのまま放置、そしてまたしばらくたって年度末にはその道直しの繰り返しであり、終わったその林道に作業用の軽トラックなどまず見たことはないのだ。このような無様な役所仕事が全国で行われていると思うと税金等払いたくないのだが・・

     
新林道に倒木そのまま、誰も支障なし   新道法面無理やり上がりヤマモモの大木  長ー36のRPへ降りる

 こうして、京青の森のベンチで一休みをしていると、後続者が「善峯からです。」と上って来られ、「関東から京へ移り住んでまだそんなに経ってないですよ、大文字山を何度も登ったのだが、他にも登りたくて今日は西山古道へチャレンジです。」と話好きでどうやら時間は売るほどある方のお相手をし、そろそろ歩かせてネ・・と思い、腰を上げ別れようとしたところへ、今度はポンポン山専門の知り合いの方がベニカン方向から到着である。

 
京青の森、ポンポン山へは左道へ 

 さて、話は変わるが、今日は12月7日で暦では「大雪」である。これはおおゆきではなく、タイセツと読むのだ。本来なら、 雪が激しく降り始めるころということでの二十四節気のひとつであろう。ところがどうだ、ポンポン山などの低山では小雪すらみじんもない。でも比良や伊吹クラスでは今頃にしては雪の暦通りとなっていることだろう。この先が雪山歩きの楽しみが待っていることだろう。こんなことを考えながら、先の方を見送って次は知り合いの方であった。

 ところが、その方の健脚ぶりは知ってはいるのだが、こちらのボッカ訓練とは気づかいないために、こちらはついてはいけない。今日はゆっくり行こうと心に決めていることから、「樹木を見ながらのんびり行くのでお先にどうぞ!」と促すのであった。「ではまた・・」とすぐに姿は消えてしまった。それにしても哀れなものであった。登り坂の我が背中には充分すぎるほど堪えてしまった。やむなくあたりの冬芽や木肌を覗きながら、写真も忘れて進むのが関の山であった。

 途中のベンチサイトから遠く蓬莱山など眺め、その先のベンチサイトは周りの樹林成長激しく南の生駒山すら見ずらくなってしまった。それにしてもいつでも見られたのに、ツルシキミやクロソヨゴあたりの赤い実すら全く残っていない。いや花もほとんど咲いていなかったなと花時を思い出していた。釈迦岳先の北側の森、イヌブナの大木地もほとんどが葉を落とし、冬枯れの景色はうら寂しい。冬季を飛び越してその先のイヌブナの新緑の春景色を思っているのである。 

     
 ベンチサイトから遠く蓬莱山   釈迦岳先のイヌブナの大木 

 地元の山、ふるさとの山などいろいろと思いめぐらす山歩きは極上の時となる。だが、しかし、鹿が繁殖し過ぎてここ西山もこの時期というよりオールシーズン山肌の緑色は皆無となっているのは悲しい出来事であるのだ。こちらの山域では、とりわけ希少種であるキチジョウソウが常緑のために鹿の食糧不足となるこの時季あたりからが、元気に青々としている細長い葉が食べられるのではと心配である。実はその種がこれまでから鹿の食害で食べられては消え、芽だししては消えの繰り返しで、花の咲くことは容易ならざる状態の連続であることを知ったのだ。

 そこで、その種を保護しようと知恵を絞ってなんとか食害防止策をと鹿の見えない、来ない等の場所へ分散させてなんとか見守ってきた。しかしながら、五か所に分散させて保護して残っていた二株だが、遂に今日確認すると、その内の一株地すっかり食べられてしまい、残りは最後の一株地だけとなってしまったのである。
 相対的に鹿は葉だけを食べるのであれば根が残ってくれて、以降またぞろ芽だしが期待できるのだが、どうやら、近年は葉はおろか、根こそぎ口にいれているだろうか、食べた直後であればその様子も分かるのだが、日が経っていれば根っこだけでも残っていたのかが判明しそうだが、そのような様子を確認できるのはなかなか容易ではない。
 この鹿対策はどうにかならないものだろうか。単に植物被害だけの遊び人の話ではない。山麓で暮らす農業従事者の方々には農作物被害はただ事ではないだろう。生活がかかっているのに弱者への対策は喫緊の課題で関係者には大変な悲惨事であろうことは誰が考えても分かろうというものである。。

 さぁ、それはさておき、そろそろポンポン山が近づいてきたと思っていると、先に行った知り合いの方がもう引き返してきて「また、会いましょう。」と相変わらず元気に交差して行かれた。こちらはのんびりし過ぎた歩きでようやく山頂となった。
 空は群青色で広がり、北側の愛宕山と地蔵山の頭がハッキリと顔見せであった。このように指呼の間の距離なのだが、時にはあの二座がすっかり見えなくなるほどの登頂も度々あるのだから、今日は全くの年末の山日和で、それも雪の全くない大雪のポンポン山であった。

 
ポンポン山からの愛宕・地蔵山 

 さぁ、久方のウドンすき鍋としよう。寒さの中の我が山飯はこれに限るのだが、その味は格別で舌鼓を一人でうっていると、同じベンチには毎週登ってきているというポンポン山限定登山者も一緒となったので、頂の憩いは延々と続いたのも珍しい。
 この方もこの山の道直しなどのボランティアに明け暮れているのだとのことであった。お礼をいって聞いていると山頂の整備や道中のベンチ造りなども忙しいとのことであった。あまりにその話ばかりが続くために終いにウンザリ気味となってきたのでこれは堪らない、そろそろ腰上げたくなってきたがもう少し辛抱して自慢話を聞いておこうと頑張って座っていた。

 そこへその方のお友達が見えたために、「どうぞここへお掛けください。」といってうまく腰を上げることができた。しかし、本当のところ、その場では口には出さなかったのだが、この山の登山道沿いには近年ベンチ類があちこちに造られているのだ。どうやら、新しいこの山への登山者らしい顔ぶれだったが、普段からベンチ作成作業中に出会った場合は通り一遍の挨拶はすれども、賛同しかねる登山者もいることを知ってほしいとも言い切れず、その場を離れるようにしている。

 大方のハイカーはやっぱり、自然を求めての山歩きで、街の公園に単なる暇つぶしに来ているのではないだろうから、あるがままの自然を感じられる山であってほしいのではないだろうか。聞くところによると、「山の持ち主に断ってしており、決して無断ではない。」とのことらしいが、無断だからとかいくら断ったからとの視点ではない。
 私もあちこちの山で荒れた道整備はやってはいるのだが、要するに登山道整備などある程度の手の入れようには喜ばれるだろう。だが、この山頂においても過去に問題となったように、展望のための大々的な伐採や過剰なほどのベンチ造りについては山人の思いはいろいろだと知るべきではなかろうか。くどいが、山は自分一人のものではなく、いろいろな登山者が登るものであり、あるがままの自然を求める登山者も多いことを知っていただきたい、とこれほど思った日はなかった。

 1時間を超える頂上滞在で、相当軽くなったザックを忘れずに背負い、普段から登りと違って下り道はめっぽう強い我が足はトントンと京青の森の上まで降りてくると、賑やかな話声がベンチから立ち上がり休憩から歩き始めるのが梢の間より見えだした。
 四差路の京青の森へ着くとその先で先行者が止まって「こっちや、いや左のあっちや!」とかまびずしい。追いついて「どこへ降りるのですか・・」と聞けば「光明寺へ行きたいんです。」とのことで、クリンソウ地手前で三本の道をそれぞれ行先を説明させてもらった。

 「ちょうど、こちらもその方面に帰るので途中まで一緒しましょう。」と先を歩くことにしたのだが、大分歩いてから聞けば「これまで光明寺には行ったことはあるのだが、記憶がはっきりしない」ようなために、では西山キャンプ場あたりまでさらにご一緒しましょうとなった。
 途中では口には出さなかったのだが、女性のリーダーは記憶だけの歩きのようで、「そのような考えで里山歩きはよくないですよ。それでなくとも道標は完全ではないですから・・」といいたかったが、誠に残念なハイカーで安易なグループには呆れかえってしまった。
 それでもキャンプ場に降りて「さぁ、この先の光明寺へはどっちへ行きますか・・?」と質問してみると「あれを登って鹿除け柵のゲートに入り、野山から光明寺に向かいます。」と指さす姿を見て、「なんだ~、知ってるやないの・・」と漫才だった。笑

 こちらは分かれたその後はいつものように林道から立石橋へ降り、朝来た道をトボトボと自宅へ向けて歩くのみである。雪のない大雪のしまらない裏山歩きとなった。笑

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